Posted by : A kind of Lo-Fi Aug 22, 2013



 ラッパー、トラックメイカーの鴨田潤ことイルリメと、Crystal, K404の二人からなるDJ、テクノユニットTracks Boysの3人が、ポップスを追求するアーバンなユニットを組むという話はオーストラリアにいる間に耳にしていて、CDは手に入らなかったのだけど、ネットで聴ける範囲で曲だけは聴いていた。いままでのイルリメさんの音の延長線上にあるようで、少し違う、詩の世界も、日常や現実を下敷きにしたリリックから少しアブストラクトな方向、まさにポップスとしての浮遊感や、少しだけ日常から離脱した感覚を備えた、しかしイルリメさんらしいメッセージ性もはらんだ作品になっている気がしていました。よもや、その方向が加速し、2ndが出るとは思ってもいなかったのだけれど。しかも、表題曲のプロデューサーは砂原良徳さんだ。



メイントラックの「君はNew Age」は、キラキラとしたアナログシンセの音色にパーカーッション、いつものラップとは一味違う、歌詞を音に載せるというよりは溶け込ませるようにうたうイルリメのヴォーカルが心地よく、詩と曲の集合体としてのポップスがここに完成しています。

もともとイルリメは、その独特すぎる完成をそのままに、むき出しのエモーションをどうにかある種の理性と論理で一度咀嚼し、それを形にするという、冷静と情熱のあいだをしっかり掴んでいる稀有なアーティストだと思っています。昔、じつは一度雑誌の企画で彼に曲を提供してもらう機会があり(会いたいから自分で勝手にその企画を立てて、強引に推し進めた結果ですが、、、雑誌なのに曲ってね。音源はWebで公開しましたが。)、その時の印象は、関西人らしいユーモアと強烈にユニークなアイデンティティをふりまきながらも、そのじつ至極常識人であり、物事を鋭くとらえ、俯瞰することができる人だというものでした。それは、数々の名曲群を聴いていけばあきらかで、ファンならだれもが知っていることだろうけれど。





ところで、、(((さらうんど)))のオフィシャルHPで3人と砂原さんによる対談が掲載されていて、それがポップスとはなんぞや? という話にまで及んでいて非常におもしろいです。

とくに、いままでポップスというジャンルの音楽に関わってはこなかったと語る砂原さんが、こう語っているのが印象に残りました。これは音作りに関して。
ポップスはやっぱり場面展開というか、起承転結が必要で、ずっと同じじゃダメなんですよね。「こう行ってこう変わって最後はこう」みたいな、上手くパズルみたいになってなきゃっていう。音楽って、聴いてる方が何かを待ってるようじゃダメなんですよ。来てほしいときに来るでもちょっと足りない、その来てほしいちょっと前ぐらいに変わるのがよくて、それがずっと続くから最後まで聴けるんだと思うんです。
これは、いまやアイドルポッププロデューサーの代表格でもある、ヒャダインこと前山田健一の作曲理論にまっすぐコネクトする内容です。

さらに、
ポップミュージックって複合メディアですから、音楽だけで勝負してる人なんていないんですよね。必ず曲タイトルとかジャケットをつけるわけで、その時点で、純粋な音楽ではないですからね。言葉にしろグラフィックにしろ、全部そういうものがごちゃっとなってるのが、ポップミュージックの核だと思うんです。ホントに純粋に音楽だけやるっていうのは難しいですよ。曲にタイトルつけられないですから。昔は「交響曲第何番」とか数字だったけど、それに「運命」とかつけた時点で、もう文学的になるじゃん?そういうもんですよね、ポップミュージックって。
とも言っていて、ジャパニーズテクノの最前線でインスト音源を作り続けていた人にも関わらず、ここまでポップフィールドへの理解があるのは、自身が明確に自分の立ち位置を意識しながら、相対的な音づくりをしていたゆえんなのかなぁ、などと思ったりしています。



とまれ、この4人のポップミュージックへの理解と態度はとても潔よいと感じます。プロダクトは細かく計算して作りこまれてはいるけれども、気軽に曲に触れてもらい、どこかリスナーを元気づけたり、少し心を軽くさせることができればいいというような、ポップミュージックに人々が求めるごくごくかすかな、でも普遍な欲求を満たすことができればいいという思いに溢れています。

長らくインディー、アンダーグラウンドのフィールドで活動をしてきた人たちだから、そこで求められれてきたディープな知識やセンス小手先の技術などがフックにならない「ポップス・メインストリーム」という世界でどのような音を紡いでいくのか、そこがとても気になるし、追いかけていきたい。単純に、曲が素敵ですし。

少し話が逸れますが、
いま日本にはおもしろいポップスがあって、それはアイドルポップであると思うのですが、これが盛り上がっている理由は、
1.アイドル本人たちのアイデンティティーやメンタリティを含むキャラクターの質のよさ、
2.ボカロに始まり、ロック、パンク、HM/HR、ヒップホップ、エレクトロ、AORなどなど、楽曲自体の多様性が増していること、
3.そしてネットのプロモーションと現場のバランスをうまくつかんだ絶妙な運営がなされていること,
の3つがおもな理由であり、その3つが密接に影響しあっているのだと思います。

それぞれについて細かい言及をすると長くなりすぎるのでそれは割愛しますが、ざっとだけ説明します。
いままでのドルオタみたいな人たちは1しか興味がなかった。しかし、そこに2に興味を持つような音楽好きがフックした。それに加えて、3のYoutubeやUstをうまく使って楽曲やアイドルの人柄的魅力に触れる機会を多くし、さらにライブなどの現場での盛り上がりを魅せることで、ライトな層にもリーチしたこと。こうして、ファンの分母を増やしていっているのではないか、というように自分なりに分析しています。
まさに、上で砂原さんが発言している複合メディア。入口は多く設けられていて、入った後、どこに楽しみを見出すかも千差万別。マナーはあってもルールはなく、それぞれが楽しめばいい。これがポップ、つまりは最大多数の最大幸福を実現する、エンタテインメントの理想形なのではないか、というわけなのです。

いやはや、なんだか長文なうえに支離滅裂な文章を書いていますね。つねづね、インディーロックとは、ポップミュージックとは、メジャーとは、アングラとは、日本と世界との音楽の扱われ方の違いとは、、、などなど、とりとめのないことを考えてるせいか、それが一部どっと出てしまいました。暑さのせいかな。。。 クールダウン用に、(((さらうんど)))の曲をぜひ。





ポップスの世界は、コネクションがもたらす化学変化なんかもコンテンツにメリハリを与えることが多くて、その多くはコラボレーションといったものですね。ももクロのサラバを布袋さんが書いている、というのが世間的には有名なのでしょうが、一昨年、まさかThe Go! Teamのイアンがももクロに、労働讃歌などというファンカデリックジャズチューンを提供していて、その曲がいまやライブ屈指のパワーソングに育っていることなど、かえすがえす、何が起こるかわからないコラボの魅力を体現しているなぁ、などと思うわけです。

そういえば、当時イルリメさんを知って、そのつながりで知ったアーティストは多く、イルリメの盟友やけのはらもそう、ECDやキミドリといった90’sのJ-ラップレジェンドから、サ上とロ吉、TofubeatsやEvisbeatsなどの関西勢やアングラテクノ、ラップのグループに興味を持ったのもそうしたつながりからでした。Raw Lifeでデデマウスが爆発する前に、まだ無名だった彼のトラックを絶賛していたのも、当時イルリメとライターの磯部涼がやっていたラジオで、それを聴いて、即高円寺の沖縄料理屋の地下にある狭いハコに観に行ったら、背の低い「ダイスケ」と呼ばれてるお兄ちゃんがアカペラでビースティーボーイズを歌っていて、それがデデマウスだった、なんてこともありました。このあたりのシーンはそのままDommune界隈ともつながっていて、縦にも横にも広がっていく感も備えていましたね。ポップスの話からまた逸れました。。。

ポップスの話をしだすと、はっぴいえんどから大瀧詠一、山下達郎などの、J-POPオリジネイターの話を本当はまずしなければいけないところなのですが、まあそれはおいおいやるということで、尻切れトンボ的ではありますが、今日はこの辺で。

夏と言えばサイダーとポップス、なんてイメージなので、夏を感じる私選トラックをいくつか貼って終わりにします。
夏の雰囲気を感じるトラックと言えば、相対性理論の新曲、You & Idolも素敵でした。浮遊感のあるギターにスティールパンの響き、やくしまるのウィスパーと、ふわふわ度満点。夏のチルな雰囲気に合いますねー。




明日は登校日!

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